ヴェニスのドージェとその選挙

ヴェニスのドージェ

ドージェは日本語では総督などと訳されます。

国のシンボルと言っていいヴェネチア共和国の一番重要な役と言ってもいいでしょう。ドージェ宮殿には、たくさんのドージェの絵があります。たいてい金色のマントを着て、時には金色だったり、時には宝石で飾られた豪勢な冠をかぶっています。

初期のドージェはarengoといわれる民衆の集まりの指示で選ばれました。しかしこのarengoの中で、誰もの意見が合うわけではなく、結果に不服を持つ人々が反逆を起こしたり、選ばれたドージェが横柄で権力を振るったりで、時にはドージェ自身が暗殺されたり、時には追放されたりで、初期のヴェニスは争いが絶えませんでした。

7世紀から、少しずつ共和国性政治の形を取り始めるヴェニスはすでに賢明な法律を持ち始めますが、10世紀ぐらいまで争いの絶えない難しい時代でした。

Arengoはそのうち裕福で権力のある家系の人々が支配し始め、maggior consiglio(大委員会)と言われる閉じられた階級の集まりに変化していきます。この過程の中で、11世紀から12世紀の間に、ドージェの権力への制限が強くなっていきます。

ドージェの選挙

ドージェを選ぶ選挙は非常に独特でした。

その日maggior consiglio(大委員会)の中で30歳以上のメンバーだけが集まり、このうちの二人がサンマルコ大聖堂に降りて、10歳になった民衆の子供を二人選びます。バロッティーノと呼ばれる、この選ばれた子供たちにとってはまたとないラッキーな出来事でした。これ以降この子供たちはドージェ宮殿に入り、ドージェに使えることが許され、終生の職を見つけたことと同じでした。よく絵画の中でドージェのそばについている小姓がバロッティーノです。

メンバーの数だけ用意された金と銀の玉を外側からは見えないようになっている容器の中に手を入れて、子供達がメンバーのために玉を選びます。

urna del doge, museo Correr, Venice,Venezia

時代によって過程の回数や選ばれた人の数は変化しますが、ドージェの選挙人は下記のような感じで選ばれました。

最初金色の玉を当ててもらった30人の貴族が(もしこの間に親戚関係のある人がいたら、やり直しでした)くじ引きで9人になります。この9人が次の40人を選びます。

この40人がくじ引きで12人に減少します。

12人が次の25人を選び、これがくじ引きで9人になり、これが45人を選びます。これがくじ引きで11人になり、この11人が41人の選挙人を選びます。

時代によっては11回この過程が続くこともありました。

そして最後の選挙人は他とのコンタクトを避けるため、元老院の部屋に詰め込まれ、ドアも窓も閉められ、ここで最後のドージェの選挙が行われました。

このような複雑な過程は前からの打ち合わせで決められた人が選ばれる選挙不正を完全に避けることができたのです。

筆者 ライセンスガイド 田口やよい

souce: Giovanni Scarabello Storia di Venezia, Mickela Knezevichi Il magnifico principe di Venezia, Frederic C.Lane Venice