パンテオン、 天使の建てた建物/ローマ (その1)

 

パンテオン

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「これを建てたのは人間ではなく天使だ」と言ったのはミケランジェロでした。

今では、観光客で騒がしいパンテオンですが、中に入ったとたんあまりの広大さ、そして自身のあまりの矮小さを感じないではいられません。確かに天井の建物、完全な空間の中にいることを肌で体験できます。

パンテオンは史上もっとも大きな憧憬を集め、もっとも模写された建物です。

奇跡のような調和に満ちた空間が2000年も昔に実現され、これが私たちにそのまま伝えられ、ほとんど昔のままの建物の中にいるのだと思うと感動的です。内部はほとんど2000年前と同じ状況で保存されています。同じ私たちが歩く大理石の床の上を数々のローマの皇帝がが歩いたのです。同じ天井のドームを見上げたのです。

今の建物は紀元後118年にハドリアヌス帝によって建てられますが、もともとこの場所には、アウグスティヌス帝のために、紀元前25年に、その友人でもあった、コンソリ、アグリッパが建てた建物があり、中には神々以外にも、ユリウス カエサルの像が祀られていました。これが火事で焼け、そのあとドミツィアヌス帝が大きな修復をおこないますが、このあとも雷が落ちて焼け、最後ハドリアヌスが新築したのがこの今の「パンテオン」、この「神々の神殿」といわれる建物です。ハドリアヌス帝はこのアグリッパの建てた建物を記念して、プロナオスの正面に「ルチョの息子、三回コンソル(執政官)の役をしたマルコ アグリッパがこれを建設した」と記録させ、この言葉を今でも読むことができます。

実を言えば、この建物が本当にパンテオンという名前で、本当に神殿だけだったかは今でも研究家の間でディスカッションが続いています。

このパンテオンが建っている場所はもともとローマにとって非常に特別な場所でした。ローマの伝説では、ローマを発足させたと言われるローマの祖先、ロムルスが死んだとき(このロムルスの名前からその後ローマはローマと呼ばれるようになります)、鷲が降りてきて、その体をさらっていき、天上の神々の間に連れ去ったと伝えられているのがこの場所でした。

ローマ人たちの神々に対する信仰は深いものでした。ローマ人達にとって死後の世界は存在しなかったのですが(ほんの一部の選ばれた人だけがカンピリージ、一種の地上天国に行くことができましたが、死後は存在しないと考えられていました)、神々は日常のあらゆることを支配していると考えられていました。川や海、山や森などあらゆる場所にいろいろな神々が住んでいました。この神々の意向を知り、怒りをかわないようにし、その助けで利益を得るのは、生きて行く上で最も重要なことでした。自然のいろいろな現象の中に神々の意思が現れると信じられていました。鳥や蛇の突然の出現などは、そのまま予言の表れであると考えられていました。何かをする前には神々の意思を知るために、犠牲にした動物の内臓を解釈したりしました。定期的に生贄の犠牲を行って、贈物を捧げることは、神々の連帯を得るためには必要不可欠なことだと考えられていました。なかでも、一番重要な神々は天上の惑星の神々でした。動かない他の星はローマ人達は重要でないと考えていましたが、国や人々の運命を決めるような重要な出来事はこの惑星の神々の介入で起こると信じていました。実際パンテオンの中にはユピテルマルス、メルキュリー、ウェヌスなど、七神が祀られていた七つのニッチ(壁がん)があります。

パンテオンは特にギリシャやエジプトなどの古代文化に通じていたハドリアヌス帝の秘教的な天文知識が基盤になっています。パンテオンは高さ43、44メートル幅43、44メートルで、中に完全な球が入るように作られているのも偶然ではありません。もともと古代から、球は完全さの象徴でした。パンテオンの天井にはオクルスといわれる9メートルにもなる大きな穴があります。このオクルスから、陽光が入って、パンテオンの中を照らし出します。ローマが生まれたと言われる日、 4月21日の12時には斜めに入った陽光は、きっちり正確に、ハイライトのようにプロナオスから入る入口を照らし出します。この事実からも建物自体がローマの起源に深く繋がっている深い意味があるようです。

このハイライトの間をハドリアヌス帝が入っていき、謁見が行われ、また皇帝自身が下す裁判も行われていたことは知られています。

神々が祀られていたのは事実ですが、この建物は神々を祀る神殿だけだったのでしょうか?

かって、神殿は神々の住居でした。神殿に入ることができたのは、巫女たちだけでした。この聖なる場所を犯して中に入ることは死によって罰されました。内部は普通狭く、生贄の犠牲を行う祭壇と神々の像を祀る空間だけがあったのですが、パンテオンは集会場といてもいいような大きな空間です。こうした意味では神殿という観念が大きく変わってきているのがこのパンテオンです。

この建物が奇跡的に、ほとんどそのままの形で今日に伝えられたのは、608年にビザンチンのフォカス皇帝が、ボニファティウス法王4世に、この建物を贈呈して、609年に法王によって、この建物自体がキリスト教の教会になったためです。

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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