ミケランジェロのダビデ/世界一の彫刻

 

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ミケランジェロのダビデ/世界一の彫刻

今日でもこの彫刻の前で周りを見回すと、「ダビデ」だけを見上げているツーリストたちの夢を見ているような視線でいっぱいです。天上からかいま飛び降りた本当の天使、あるいは遠い宇宙から突然やってきた初めて見る宇宙人を見つけたような驚きに満ちた視線です。もっとも単に有名だから見に来たという関心の少ない視線も中に混ざっていないわけではないのですが。(芸術品を楽しむには「知る」ことが必要です。美しさに感動するには感覚が必要です。)1時間以上並んだんだから写真だけは取るぞというような挑戦的にマニアックな人もいないことはないのですが。

それでも今日でも多くの人々が持つことのできる印象はやはり深い驚きと感動です。

「本当に、この作品は現代、古代、ギリシャであれ、ローマであれ、あらゆる彫刻から名声を奪った。……………… ミケル アニオロ(ミケランジェロ )は実に素晴らしい美と均斉と優雅さをこの彫刻に実現した………かってこのように生き生きとした手や足や頭、四肢が、素晴らしく彫られれ、全体の均斉がここまで表されたことはなかった。この彫刻を見た人は、現代のものであろうと過去の時代のものであろうと、ほかの作品を見る必要などはもうない。」こう言っているのはジョルジョ バザーリです(芸術家列伝)。

1494年ミケランジェロはフランスの侵入を避けてフィレンツェを後にします。ヴェネチアとボロニア滞在後、1496年からローマに住んでいます。

1501年、26歳のミケランジェロは、この2年前「ピエタ」を完成し、ローマではもう押しも押されもしない引っ張りだこの彫刻家ですが、この年ににフィレンツェ共和国からお呼びがかかります。再び故国に帰ったミケランジェロは長年望んだ石に挑むことができます。

「ダビデ」が創られる大きな大理石は実はミケランジェロが生まれる前から、フィレンツェにあったものでした。アゴスティーノ ディ ドゥッチョ(1418-1481)がかって、フィレンツェの大聖堂サンタマリア  デル フィオーレから発注を受けて巨人を彫るはずでしたが、最初に切りを入れた石切師の間違いで、取り返しのつかない切り方がされ、他の彫刻家もその前でどんな像を彫ることも諦めた「死んだ」石と言われていた大理石でした。サンタマリア  デル フィオーレの倉庫の中に保存されていたこの石をそばでよく調べたこともあるミケランジェロ自身が、この中に埋め込まれている像があると長年言い続けていた石でした。

「ダビデ」が保存されている同じアカデミアにあるミケランジェロの未完成の彫刻「プリジョーニ」(牢獄という意味/像が石の中に閉じ込められているようなのでこの名で呼ばれている)などを見てもわかりますが、ミケランジェロは、石の一部の表面から形を出し始め、確かに中にある像を少しづつ自由にしていくような感じで彫って行きます。最初にモデルを作り、それに合わせて石を大雑把にに切り、そこから細部を彫っていく方法とは全く違ったものでした。モデルはもともとまるで石の中にあるような感じです。ミケランジェロ自身が彫刻家の義務は「余分なものを摂っていくことだ」と言っています。まだはっきりとは現れていない、まだ無意識の中に沈んでいる直感のモデルに導かれていくように、ミケランジェロの作品の秀絶さは、鑿(のみ)を入れていくその一つ一つの打ち方が、目の前の石との戦いであるようなこうした方法の中にもあるのでしょう。

アゴスティーノ ディ ドゥッチョが切り間違えた部分はミケランジェロはダビデの足を少し後ろに引かせます。約3年間ほとんど人には見せることを拒否し、隠れるように、夜も昼も仕事場に閉じこもって、ミケランジェロはこの像に挑み、彫り続けます。

こうして死んだと言われていた石から生まれたのが奇跡の「ダビデ」でした。

1400年代、フィレンツェは世界の文化の中心と言っていい町でした。このフィレンツェでルネッサンスが生まれます。歴史的ないくつかの出来事、メディチ家の大きな経済力、その頃知識や芸術が権力と同義であり、メディチ家のそばに最も重要な新しい思想家、才能のある芸術家が集められミケランジェロの育つ思想的な土が用意されていたこと、特にこのフィレンツェで生まれる1400年代の「この地上」を見つめる現実的な視線(中世は神だけを天上だけを見つめてきました)が生み出すミケランジェロ以前の芸術家たちの自然と命に敏感な作品の影響、ロレンツォ ディ メディチのコレクションやローマでミケランジェロが学ぶことができた古代ギリシャローマ時代の彫刻との出会い、ミケランジェロ自身の持って生まれた天才的な才能、こうした幾つかの要素の偶然的な出会いがなくては決して生まれえなかったこの奇跡の彫刻です。

どこに設置するか長い間ディスカションがされた後、フィレンツェの行政の中心だったシニョリア広場パラッツォ ヴェッキオの前に置かれることに決定されます。これはミケランジェロのもともと望んだことでした。共和国の象徴としてこの古代の英雄、ダビデ像は、フィレンツェの共和国制を守るのだとミケランジェロは主張します。

ミケランジェロの生きた時代は最も刺激的な時代でしたが同時にとても難しい時代でした。ドミニコ会サヴォナロラは、ほんの数年前、フィレンツェで生まれたあらゆる新しいルネッサンス文化(この文化がこの名前で呼ばれるのは後期ですが)の表現を「異教」として非難し、この異教のフィレンツェにこのままでは神の罰が下る日は近いと人々を恐怖のどん底に落としたばかりでした。結果としては、政治的な工作もあって、サヴォナロラ自身が異教者として、火で焼かれることになりますが。古い中世はまだ死んだわけではなく、新しい時代との戦いは血みどろになって、やっと始まったばかりと言ってもいい時代でした。心ある人々は新しい時代への希望に震えますが、同時に深い疑惑を取り去ることができたわけではありませんでした。これはミケランジェロ自身の希望と懊悩でもありました。

この「ダビデ」の前に立つとこのミケランジェロの陶酔と苦悩がひしひしと伝わってきます。美は神であるはずだと考えます。ダビデは神から選ばれた正しい系列、マリアの祖先です。「前キリスト」です。そのダビデを表すには完全な美でなければならないはずです。それゆえ、ミケランジェロは一番美しい肉体を削り出します。その完全な美しい裸体ゆえ、いつまた恐ろしい非難の対象になるかわからない古代からの美です。それでもミケランジェロは美を追い続けます。それはもう石の中に閉じ込められているのです。ミケランジェロはそれを自由にする手でしかないのです。

この深いインスピレーションと葛藤の間から美しい生きた「ダビデ」が生まれます。従来のイコノグラフィーとは違って、ゴリア(ゴリアテ)の切られた首がそばにない、フィオンダ(石投げ器)を持っただけの、体に何一つまとわない無防備なダビデす。しかし勝利を疑わない、全く敵を恐れない、深く集中した「ダビデ」です。

もともとあまり質の良くないこの大理石で作られたダビデは、数世紀、外気に耐えますが、もう1800年代にはそのままシニョリア広場には置いておけないほど損傷のひどい状況になっています。1873年、この時もいろいろなディスカッションの後、「ダビデ」はその頃は絵画学校だったアカデミアの中に移されます。シニョリア広場にはダビデのレプリカが設置されます。

「ダビデ」の深い意味を知るには、今日でもシニョリア広場の中での「ダビデ」を見ることも欠かすことができません。

フィレンツェはまだ実質的な共和国制を生み出していません。形としては共和国制政治の下で実際動いているのは権力のあるファミリーの個人的な利害と汚職です。メディチ家はまだ追放中です。この不安定さ、混乱の隙を狙って街を征服しようと諸外国は目を凝らせています。そうなればフィレンツェの最期でした。

「ダビデ」は街を守る英雄です。この母国に対する愛と祈りもミケランジェロが「ダビデ」の中に彫り込んだものです。

アカデミアの中でこの力強いオリジナルの「ダビデ」をそばで見た後、シニョリア広場で「ダビデ」を見ると、ミケランジェロのこの祈りと希望の力強さを肌で感じることができます。これほど長い時間が経った後でも、「ダビデ」は今でも確かにフィレンツェを守り続けているかのようです。

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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