ミケランジェロ、「ピエタ」/至高の美、息子より若い母

 

ミケランジェロ。「ピエタ」(1498−99)、大理石、ローマ、サン・ピエトロ

ミケランジェロ。「ピエタ」(1498−99)、大理石、ローマ、サン・ピエトロ

無限の優しさと諦念

「奇跡だ。もともとは形のない石が、自然が実際に肉体を創造するときにさえなかなかたどり着けえない完全さを得たというのは奇跡だ。」と、ジョルジョ ヴァザーリは「芸術家列伝」の中で、この「ピエタ」について書いています。

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの最も有名な彫刻の「ピエタ」は、今日では目線よりずっと高いところにありますが、この彫像の前で人が持つことができる印象は、深い驚異、あまりの完全さの前で言葉を奪われた後の沈黙、その後にくる言われない恍惚感と敬服感です。キリスト教徒であるかないかはまったく関係なく、まるで永遠を垣間見たような驚きに今でも打たれます。そしてこの感覚は当たっています。

「ピエタ」を創作した時、ミケランジェロはたった24歳でした。1496年から1501年、ミケランジェロはローマに滞在して、銀行家ヤコポ ガッリの保護下で仕事をします。このころの法皇アレクサンドル6世の元に、カール8世から、領事のような役で派遣されていたとても権力のある枢機卿、 Jean de Villiers de La Groslayeに、ミケランジェロを紹介したのはこのヤコポ ガッリでした。その頃のフランスの礼拝堂、サン ペトロニッロ礼拝堂に飾るためにこの枢機卿から発注されたピエタですが、この礼拝堂は、この後新しく再建されるサン ピエトロ教会の中に組み込まれ、今ではサン ピエトロ教会の中にこの像があるわけです。。

1498年に契約が交わされ、1年後1499年にはサンペトロニッロ礼拝堂に設置されますが、この「ピエタ」はすぐに大きな憧憬に満ちた反響を呼び起こし、この名声はすぐヨーロッパ中に広がります。

今日でも、同じミケランジェロの「ダビデ」とともに、世界で最も美しい彫刻と言いきっていいものです。

この「美」がどこから来てるかは、ミケランジェロが本当のアーチストとして育ったロレンツォ、イル マニフィコの宮廷のその頃の文化に遡らなければなりません。

ロレンツォ ディ メディチのそばで、ミケランジェロは、マルシリオ フィチーノポリツィアーノピコ デッラ ミランドラクリストフォロ ランディーノなどの、哲学者、作家、詩人などの思想に触れます。フィレンツェでは、すでに、こうした知識人の間でネオプラトニズムの新しい思想が生まれています。このネオプラトニズムではキリスト教の中でプラトンの思想が解釈されます。美は神の顕現だと考えられます。神は愛なるものであり、唯一なる神はその愛で宇宙のあらゆる造物とつながっていると考えられます。造物に具現される美は、神の表れ、魂の美しさになる訳です。

この思想を背景に生まれたこの「ピエタ」の聖母の美しさは例のないものです。美しく無垢で永遠に若い聖母です。もちろん永遠が無限に美しく年を取らないのはいうまでもないことですが、ヴァザーリ自身が、ミケランジェロになぜ聖母が息子のキリストより若いのかと聞いた時、ミケランジェロはダンテを引用してこれに答えたと言われます。ダンテは「神曲」(33巻 「天国」)の中で聖母を「息子の娘」と表現します。キリストは神の顕れであり、それゆえ、あらゆる創造物は神の娘、息子であり、それゆえ、聖母はキリストの神の娘であるわけです。そして聖母はまた神の母でもあるわけです。

見れば見るほど美しい聖母です。

死んでしまった息子を抱き、深い悲しみに痛み崩れながら、神の意志を疑わない深い諦観に満ちた聖母の優しさは無類のものです。そしてその腕の中で、死んでしまったキリストは体を横たえていますが、死の嫌悪も戦慄もない美しい若い肉体です。復活がすでに定められたこれは眠りのような死です。何もかもがミケランジェロの深い宗教心を表しています。

キリストの体の表現も無類です。筋肉や血管のリアルな表現も四肢の力無く落ちる感じも、ヴァザーリに「どんな死体よりも死体らしい死体」と言わせたものです。これだけの表現ができるためには、死体を何度も解剖して、その写生をしないとできないことでした。その頃の最高の権威である教会によって禁止されていたことです。特別の許しが必要でこれを得るのは簡単なことではありませんでした。レオナルド ダビンチが、「血だらけになって、死体を解剖する勇気もいるが、この解剖されて、皮もない分解された死体と真夜中に一対一で対面する勇気もいる。それだけではない、これを正確に写生できる才能もいる』と言っていますが、屍体解剖のため訴えらたこともあるミケランジェロ、ここまでたどり着くための努力も膨大なものでした。

1972年、ある精神異常者がこの「ピエタ」を襲います。12以上の金槌の打撃で、聖母の左腕が落ち、鼻先が崩壊し、左の瞼に大きな傷ができます。このことについてはまた別の機会に紹介しますが、もとのように修復されてその完全さを取り戻した、この世界で最も美しい彫刻、このために今では高いところに保護されて置かれています。

他のものではなく、このあまりにも完全な美ゆえ、それを壊したい犯したいという気になったのかもしません。あまりにも美しい実現された永遠ゆえ。その後この人は自分はミケランジェロだと言い続けていました。

 

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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