ブラノレース/幻の針編み

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ブラノ針編みレース

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ブラノ針編みレース

ブラノレース/幻の針編み

「本当のレースには二つ種類がある。針編みとトンボロ編みだ。一番の栄誉は何と言っても針編みにいく。針編みの操作は無限に長い、デリケートで、難しい仕事だ。アーチストは両方ともしたいと思う。針編みは集中していて、根気がいり、理性的だ。トンボロ編みは、分散した仕事で、広角で、分析的だ。針編みは針先を入れていく、トンボロ編みは空間を動いていく。針編みは、目と頭が必要だ、トンボロは想像力と記憶がいる。トンボロは頭ではなく、手が動いていく。針編みは犠牲が要求される。トンボロもおおきな献身が必要で、完成までに長い時間がかかる 」パオロ ファンブリの言葉です( Davanzo Poli  1998)。パオロファンブリは、アドリアーナ マルチェロ侯爵夫人と共に、1872年にブラノレース学校を開くのに貢献したその時の国会議員です。

レースの起源はビザンチンだと言われますが、その後ビザンチンと関係のあった西洋でもレースの形跡は消えてしまいします。ロシア圏に一部残ります。ヴェネチアでは、1400年ぐらいから初めてその記録が出てきます。

最初の頃は貴族の女性の趣味として始まっ たレース編みが、1600年初めぐらいから王侯貴族の服装に欠かすことができなくなります。この頃からヴェネチア全体の大きな産業になり、貴族の女性の手を離れて、民衆の仕事になります。ガラスと並んで、ヴェネチアの最も重要な輸出物の地位を獲得するようになります。ダヴァンツォ ポリが言っていますが、「Bontempelli やBortolo Cargnoni などのレース業者は、ヴェネチアの元首ドージェやその妻のドガレッサと肩を並べた墓に葬られることができた」ほどの経済的、社会的地位を得ます。(Davanzo Poli  1998) 一般の店や、個人生産だけではなく女子修道院、孤児院などでもたくさんレース製品が生産されます。ヴェネチアの繊細な針編みはヨーロッパの王侯貴族のステイタスシンボルとして競って求められるものになります。このころから針編みだけではなく、ペレストリーナ島ではボビンレースも始められます(今でもペレストリーナはボビンレースで有名です)。 IMG_3767

これだけの産業ですから、フランスなども、ヴェネチアからレース女工を招き、フランス独特のレースを編み出します。ブリュッセルやアンベルサなど、フランドル地方のボビンレースも有名になり、だんだんと競争が厳しくなってきますが、この競争がまた素晴らしいレース発明の元にもなります。1700年の初めぐらいには、ロザルバ カリエラなどの女流画家たちは、自分のアテリエの中で、自分でデザインしたレース生産を女弟子たちに作らせる仕事を絵を描くのと並行して行います。

ただ1700年中期ぐらいから、世界の流行が変わってきます。装飾の多いレースを使ったような服ではなく、淡い色の、裁断を主にした服が好まれるようになると、ヴェネチアのレースはだんだんと廃れていきます。ヴェネアではまだ、仮面のバウータに使うレースがまだ作られていたとはいえ、1700年後半はだんだんと生産は個人的なものになってきます。

1800年代、ほとんど消滅しそうになっていたヴェネチアレースを発足させたのは、上記のアドリアーナ マルチェロ侯爵夫人などの努力によるものです。特に1871年と1872年はものすごく寒い年で、ラグーナが凍ってしまってブラノ島では漁業がまったく出来ない年が続きます。こうした厳しい経済状況の中で、ブラノレース学校を設立し、ヴェネチアレースの伝統を救う努力をすることが、国のレベルでも決定されます。まだその頃レース針編みの方法を覚えていたチェンチャ スカルパリヨーラという年とった、自分の名前も書けない女性が呼ばれ、レース学校でレース編みを教えます。短い期間にこのレース学校はたくさんの質の高いレースを再現することができるようになります。

だんだんと服装の流行もまた変わってきて、また芸術の部門でもこのころ手工芸が重要視されるようになり、ブラノレースは1878年パリインターナショナル芸術展示会に参加したりして、ヨーロッパのブルジョアジーのスティタスシンボルになります。

第二次世界大戦後、特に1950年代から、またこの業界は大きな危機を迎えます。1977年、グラッシ館で行われた展示会以降、少しその運命を持ち直したとはいうものの、今日まで、細々と観光客の訪れだけに頼って、今ブラノレース(ヴェネチアレース)はまた再び消滅の危機を目前にしています。

今では、まだ本当のブラノレースを作ることができる人はほとんどみな70歳を越しています。ブラノでも質の高い本当のブラノレースを見つけることはだんだんと困難になっています。ブラノレース学校では毎年新しいコースを開くのですが、通う人はゼロに近い状態です。今の若い人の好みに向かない仕事であるのでも事実ですが、この理由の一部には、長い歴史も、その高い芸術性、技術も今日では完全に忘れ去られて、ブラノレースを単なる観光のお土産としか考えなくなった一般的な無知も、多く貢献しています。

この驚くべき針編み、長い時を通じて伝えられてきたこのレース編みが消えていくのは悲しいことです。

ブラノ島

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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