ヴィッラ アドリアーナ/ローマ ティボリ

ヴィッラ アドリアーナ  www.fondoambiente.it

ヴィッラ アドリアーナ  www.fondoambiente.it (イメージ源)

ハドリアヌス帝 ヴェネチア、アルケオロジック ミュージーアム (サンマルコ広場)

ハドリアヌス帝
ヴェネチア、アルケオロジック ミュージーアム (サンマルコ広場)

ヴィッラ アドリアーナ ローマ ティボリ

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ローマから、30キロほど離れたティボリに、世界遺産、ヴィッラ アドリアーナがあります。

ローマ時代の残ってるヴィッラとしてもっとも美しいもののひとつです。壊れないで残っている所が多いので、そのころの生活まで、目の前に見ることができるほんとうにローマ的な場所でもあります。

このヴィッラから、あまり離れない所にゴミ焼却炉を作る計画がモンティ首相の下で決定し、その計画が進んでいますが、焼却炉を作るのだったら、ヴィッラを世界遺産の地位から降ろすと、最近ユネスコから警告を受けたばかりのローマです。

 

ヴィッラ アドリアーナは、ハドリアヌス帝が建てたローマ建築の中でももっとも豪勢な美しい建物のひとつでした。

ハドリアヌス(アドリアーノ)は、117年に、子供のなかったトライアヌス皇帝の養子として、皇帝の地位に即きます。

ハドリアヌスは、勇気ある兵士でもありましたが、教養の高い皇帝でした。特にギリシャ文化を深く愛し、ギリシャの哲学にも深く通じていました。ギリシャの哲学者達は、皆、髭がありましたが、ギリシャの哲学者達を憧憬していたハドリアヌス、ローマの皇帝で初めてひげを生やした皇帝でもありました。

ハドリアヌスの時代のローマでは、トライアヌスのアグレッシブな政治を止め、メソポタミア征服も諦め、どちらかといえば国境を守っていくだけの平和政策が取られました。

ハドリアヌス自身は、遠くの領地を守るためのに視察をしたり、旅を愛しますが、このヴィッラの庭の水の上の離れ島に引きこもり、瞑想することも好みます。ハドリアヌス自身が詩人でもありました。

ヴィッラアドリアーナは、古代のヴェルサイユ宮殿といっていいヴィッラでした。120ヘクタールに渡る大きなヴィッラで、完成まで約15年間かかりました。中には、たくさんの建物があり、温泉、大きな客間、図書館、シアトル、そして、庭には小湖もあり、この中に離れ島もありました。この水の周りには、夜になると明かりがともり、この水辺で豪勢な夕食会がよくおこなわれました。

少なくとも400以上の彫刻がこのヴィッラを飾っていたと言われますが、これらの彫刻は1500年代にヴィッラが発見されたあと、ヨーロッパ中の貴族達に売られてしまいます。多くが、ギリシャから持ってこられた本物の彫刻でした。ヴェネチアのグリマニファミリーも、この時いくつかを買い集め、ヴェネチアに持って来ます。これらの彫刻、今残ってるのは数少ないのですが、このうちのいくつかは、バチカンでも見ることができます。

ハドリアヌス邸の小湖は、エジプトのカノポとアレキサンドリアをつないでいた運河を象徴していました。エジプトのナイル川の水のなかで、ハドリアヌス帝が愛したアンティノーが溺れ死にます。アンティノーは、ハドリアヌスがビィティニオを旅していた時会った少年で、その後、どこに行くにも一時も側から離しません。このハドリアヌス帝のアンティノーに対する愛は、ローマでも有名になります。同性愛は古代ローマでは普通のことと受け入れられていましたが、ハドリアヌスのアンティノーに対する愛は、その溺愛のため、人々の噂の種でもありました。

アンティノーが亡くなった後、ハドリアヌスは、その死を嘆き、痛み、アンティノーが死んだ近くの街をアンティノーポリと名付け、アンティノー自身は神化され、その後、その信仰も始まります。

 

この美少年アンティノーの彫刻は、他にもいくつか例がありますが(フィレンツェなど)、特にヴェネチアのグリマニ館にあるアンティノーの半身彫刻が、今までは、1500年のものと考えられてきましたが、最近、実はオリジナルなローマ時代の彫刻で、多くのアンティノーの像の中でも、もっとも美しいものだと話題になっています。

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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下のビデオでヴィッラアドリアーナをいろいろな角度から見られます。