コロッセオ、驚きのスタジアム (その2)

IMG_8839紀元後68年、皇帝ネロは、ちょうど今コロッセオのある場所に、36メートルのネロのブロンズ像が設置された、それこそ豪勢な邸宅を作ります。このためまた税金を上げた、限りのない権力誇張の欲望にとらえられたネロ皇帝へのローマ市民の反感が大きくなっています。ちょうどこのころジュデア(ユダヤ/今のパレスチナ)では、反乱が起こり、この反乱鎮圧にヴェスパジアーノ(ヴェスパジアヌス)大将が送られます。ヴェスパジアーノは、特別人気のある将軍ではなく、勝利を得てもネロ皇帝の競争相手になるような軍人ではないと、ネロ皇帝はこれを考えに入れて、この大将を送ったと言われています。

一年後にはネロ皇帝に対する反感は爆発的になり、民衆の賛同を得ることができる自信のあった元老院はネロを、「国の敵」と宣言します。

ネロは皇帝の地位を降りるよりは自殺を選び、その後3人の皇帝が入れ替わリ、混乱した状況が続きます。70年に、ジュデアの反乱を押さえたヴェスパジアヌスは、ローマに勝利の帰還をします。最初は躊躇していたヴェスパジアヌスですが、最後には皇帝の地位を受け入れます。

すでに三人の皇帝が変わったばかりで、政治的にも社会的にも不安定なローマを収めていくのに、ヴェスパジアヌスが考えたのが、まず壮大なスタジアム(アレーナ/アレーナと言う言葉はラテン語のレーナ、アレーナで流れる膨大な量の血の上にかけられた独特の砂の名前から来ています)を建てることでした。

イタリアだけでなく、かってローマ支配下にあった場所にはいろいろな所に昔のスタジアム、アレーナの遺跡があります。これ以外にも木で作られたアレーナも無数ありました。

ローマの有名な言葉は『Panem et Circenses』です。これは、『パンと興行』と言う意味です。ローマの民衆は働いていない人がほとんどでした。ほとんどの人が国の手当や寄金で生活をしていて、時間はありあまっていた訳です。この民衆を空腹にさらしたり、退屈させることほど、危険なことはありませんでした。批判や暴動の元です。ですから、支配階級は多くのスタジアムをつくり、ここで民衆が熱狂して夢中になる催し物をして、民衆を常にコントロールしていたのです。

ヴェスパジアヌスは、ネロ皇帝の豪勢な邸宅を破壊し、その場所に、世界でももっとも壮大なスタジアムを作ることを計画します。

そして、ここで、信じられないほどの血が流れる競技、処刑、動物の殺戮などがおこなわれます。そのスケールは、現代人には想像もつかないものです。その残忍さも今の私たちには理解に苦しむものです。

能率的で偉大な社会でしたが、無情で無慈悲、残忍なのも古代ローマでした。

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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