ダン ブラウン  「インフェルノ」 と ヴェニス (2)/えっ、ヴェネツィア人が、サンマルコの四頭馬の馬の頭を切った?

サンマルコの四頭馬

ヴェネチアの宝の中の宝 サンマルコの四頭馬 (サンマルコ大聖堂/テラス)

頭部

はずされた頭部の写真 (埃や風から目を守るための、額のたてがみが結ばれているのは、神々の守護を受けるためのお守りのような意味があります。)

馬の頭部の構造

馬の頭部の構造、取り外しができるようになっている、

 

インフェルノ 72章

 

サンマルコの四頭馬

 

「インフェルノ』72章では、ダン ブラウンは、サンマルコの四頭馬について話します。ダン ブラウンは(あるいはそのエキップ)は、この章を書くのに、単にARCAウエッッブサイトとだけを、調べて、書いたようです。彼自身もそういってます。

この四頭馬は第四十字軍の戦利品として、ヴェネチアに持ち来られたものですが、サイトからの、ダン ブラウン自身の引用では、『首輪は、1204年に、ヴェネツィア人達によって、あとからつけらたものだ。コンスタンチノープルから、ヴェニスへの運搬を簡単にするために、四頭馬の首が切られ、これを隠すために、つけられたものだ』と書かれています。このサイトを見つけることはできませんでしたが、これは間違いです。

馬体は、いくつかの部分にもともと別けて作られています。特に、「首と頭部は、胴とは、溶接や、鋳造ではなく、単にメカニック的につながれている。」(Vittorio Galliazzo “I cavalli di San Marco” p.142, 1981, Edizione Canova, Treviso)

当然、首輪は(一部は後期のもの)もともとから、この切れ目を隠すためにプロジェクトされたもので、1204年に、切った首の跡を隠すために作られたものではありません。首輪の後ろの部分は、銅につながって溶接されています。頭部は(デッサン参照)メカニック的に取れるようになっているので、運搬、修復などの機会には外されます。

 

ちなみに Galliazzo 教授は、この四頭馬の内側からも外側からもの研究に、生涯の何年間をも費やした、四頭馬の専門の研究家です。(馬はサンマルコの教会に属していますので、なかなか簡単に研究はできません)彼の研究は学会でも評価されています。

どうでもいいといえば、それだけですが、この四頭馬についてだけでも、無数の研究が過去現在を通じてなされています。こんな重要な題材について、ウエッブサイトだけを見て、書いてしまうのはすこし…かなという感じです。「インフェルノ」最初のページに「芸術、文学、科学、歴史に関する、あらゆる出来事は、実際のデーターに基づいている」と書かれてますので、もう少し、慎重なエキップをそばにつけた方がいいのではないかと、あるいはこんなふうな前書きは取った方がいいのではないかと、これは私からの、ダンブラウンへのまったくよけいな忠告です。

彼の本は、事実としては不正確な部分が多くても、とても面白いのは否定することはできません。

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もう少し、このダン ブラウンが書いてる章について書き加えます。

ローバト ランドン(主人公)は、サンマルコ大聖堂に、「馬の頭を切ったドージェ」の墓を探しにいきます。この墓を探すために、美術史学の教授でありながら、本どころか、どんなガイドブックさえ下見もしないで(ツーリンクラブのガイドブックなどは、ありとあらゆることが書かれています)、中に入ります。そして、助けが必要だと言うことを認識して、グループに説明してるガイドに、博物館の管理者、研究家でもあるエットレ ヴィオという人がどこにいるのか聞きます。ということは、このエットレ ヴィオが教会の中の人であると言うことですが、サンマルコはツーリストに観光のための公開はしていますが、ここは今でも聖なるお祈りの場所です。外からのガイドは中に説明のため入っていますが、そのガイドが、「グループを待たしておいて」エットレさんを呼びにいくと言うようなことはあり得ません。またガイドはと教会内部の人々との関係はありません。私たちガイドは観光中はトイレさえ行けないので、観光が始まる前にはいつもドージェ宮のトイレで同僚に合うのが常です。グループを待たせておくことができるようなガイドはいません。これは他の言語のガイドも同じです。さて、このエットレさんが来たあと、ランドンの質問にエットレさんは 「伝説によると、四頭馬は、一番頭のいい、狡猾なドージェによってヴェネチアに持ってこられた。(エンリコ ダンドロのこと)」と答えます。この四頭馬が第四十字軍の戦利品として、ヴェネチアに持ち来られることは、あらゆる歴史の本に書かれていて、直接のドキュメントはなくても、この十字軍に参加した人々が書き伝えていることで伝説ではありません。そして、四頭馬と、第四十字軍のヴェネチアの指揮者、ドージェ、エンリコ ダンドロとの関係はあまりにも有名で、ましてや美術史家、教授である主人公ランドンが、一言一言、このエットレさんの言葉に驚くと言う想定は、あまりにもあり得ない設定で、リアル感に欠けます。

もちろん、話しを面白くさせるために、ブラウンがこういう設定をするのはわかるのですが、アメリカ人だけじゃなく、もう少し常識のあるヨーロッパ人も受け入れやすいようなプロットを作れないものかと、まあ、偉大なブラウンに向かってこんなことを言うのは不敬?小説家としてりっぱなブラウンだからこそ、知ってる人も陶酔できるような本を書いてほしいなと希望するのは望みが大きすぎるかも。非常に私的な意見です。(2014年12月12日)

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もう少し、書き加えましょう。

実際、ダン、ブラウンはサンマルコ大聖堂を訪問し、サンマルコの建築家、エットレ ヴィオさんの(教会内ではなく、普段は事務所にいる人です)案内で中を見学したそうです。ただ、その時、ヴィオアーキテクトにその訪問が小説のためだとは言わなかったそうです。それにしても、あまりにもたくさんの間違いがあるので、教会の人々もきっと、通訳が悪かったか、小説のためにいろいろ変えてしまったのだろうと驚いていました。例えば、ランドンがシエンナと共に、テラスに出て、その後、螺旋階段を降りて直接、クリプタに降りますが、テラスから直接、クリプタに降りることができる階段は存在しません。一種の螺旋階段はテラスの外ではなく、教会内部のマトロネイ(テラス)にありますが、このドアは常に鍵がかけられていて、教会の許可なしには誰も入ることができません。それにこの階段はドームの内部につながっていて、ドームの上に上る階段で、下に降りるものではありません。もう一つ、教会内部に降りることができる階段が、中央祭壇に向かって左にありますが、これは、クリプタへ入るドアの近くに降りられますが、直接クリプタには降りられません。ダン、ブラウンの書いているのはまったく架空の階段です。その後ランドンとシエンナは、クリプタから空気取りの窓の鉄格子を開けてサンマルコ広場に出ますが、クリプタから広場に出ることができる窓は存在しません。クリプタはかっての教会の跡で、あらゆる場所が、教会内部に囲まれています。一つだけ通路がありますが、これは広場には通じていません(ダン ブラウンはこの通路を設定するべきでしたが、たぶん、エットレさんはこの通路を教えなかったのでしょう)。また、二人は仮面を売ってるジプシーに出るための助けを乞いますが、これも笑えてしまうような話しです。物乞いのジプシーは、いつも教会の近くにいますが、いつも、警察に追いやられて、マスケラを売るどころではありません。サンマルコ広場は、とても監視が厳しく、ここでものをかってに売ることができるような人はいません。5分もすれば警察が出てきます。いくつか、屋台が出ていますが、これもものすごく高いライセンスを買って、やっている人々です。景観を損なうので、市ではなんとかこの人々を追い出そうとしていますが、一種の強力なロビーで、なかなか追い払うのは困難なようです。このような人達が、ジプシーに仮面を売ったりするのを許すはずがありません。

サンマルコ広場の床もダン ブラウンによると16世紀に今のようになったと書いていますが、これも間違いです。サンマルコ広場の床が今のようになったのは18世紀のことです。

いろいろ調べていくうちに、ダン ブラウンの、調査の方法を発見したのですが、直接のインタビューだけに基づくようです。人の話だけを聞いて、世界のベストセラーを書いてしまうというのは、主人公が美術史家であるという設定のために、あまりにも軽卒な方法だと思いますが、その後誰か専門家にチェックをしてもらうくらい、ブラウンくらいの小説家だったら簡単なことだと思うのですが。

あるいは、最初のページの、「あらゆる、芸術、文学、科学、歴史に関することは、実際のデーターに基づく」と言う前置きだけがなければ、何一つ文句のつけることのない架空のよくできた推理小説なんですが…….

(2024年12月22日)

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筆/ヴェニス ライセンスガイド 田口やよい