ヴェニス 世界で一番美しい街と大型客船 アドリアーノ チェレンターノの意見

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ベネチア 世界で一番美しい街

最近、カンヌ映画祭で、パオロ ソレンティーノ の映画 『グレイト ビューティー/追憶のローマ』が、ゴールデングローブ賞を取リました。この映画の重要なテーマのひとつはローマの美しさです。この映画の受賞のあと、街の「美」ということが、それを保存するというような意味でも、今よくイタリアで、ディスカッションの対象になっています。

イタリアのとても人気のある歌手、俳優、アドリアーノ チェレンターノ Adriano Celentanoが、ある新聞にヴェニスとヴェニスに入る大型クルーズ船の危険性について、書いてることが、興味深いので、紹介します。

コスタクルーズ船が、ジリオ島の前で座礁していらい、大きなクルーズ船が、サンマルコのすぐそばを通るのが、危ぶまれるようになりました。これに対して、いろいろな案がでていますが、最近入る船の制限を4000トンという、政府の提案から、7000トンに引き上げたヴェネト州の地方裁判所の判決と、十万人の人々

カナレットの絵のような大運河 IMG_0680 カナレットの絵のような大運河

サンマルコのそばを通るクルーズ船

サンマルコのそばを通るクルーズ船

カナレットの絵のような大運河

カナレットの絵のような大運河

カナレットの絵のような大運河

カナレットの絵のような大運河

カナレットの絵のような大運河

の仕事源として、大きなクルーズ船が、入ってくるのはやむを得ないと主張する一部のヴェネツィア人達に向け、Adriano が、皮肉を込めて書いてるものです。

 

「いくつかの新聞を読んで、僕が一番打たれたことは、ヴェニスのほんとうの敵は、どうやらヴェネツィア人らしいということだ。どうしてそんなことが? なにかがどうも、ふにおちない。小さい時から、それに大人になって時計屋をしていたころも、僕はヴェニスのリドの小さなペンションにいつもバカンスに行っていた。いつも僕が一番ヴェニスに引かれたのは、あなた達の好感の持てる性格と、陽気で、微笑みながら、人生にあたっていく態度だった。だから、「少しぐらいの金(schei)」のために、あなた達の視線と、特に頭に、霧がかかって、前が見えなくなったなんて、信じられない気がする。特に、どんな美に取り囲まれているか、見えなくなったなんて、信じられない気がする。世界のどんな街を探しても、どんなすみにも、どんな小さな石やレンガの一センチ四方の表面にさえ、これほど「美」が、どこにも、あふれている街は存在しない。

たぶんきっと、あなた達は、世界でも唯一『生きた絵』の中に生活しているのを知らないのかもしれない。世紀を通じて、ティツィアーノや、ティントレット、カナレットなどの、特別な人々にインスピレーションを与えた、歴史的な『絵』だ。特にカナレットのヴェニスは魔術と言ってもいい。 カナレットの絵を見てみてほしい。彼の絵はいつまで見ていても飽きることがない。世界中の人々が高い評価をして、みつめる絵だ。でもあなた達、ヴェネツィア人達は見る必要がない。どうしてかといえば、あなた達自身が『絵』そのものだからだ。その上に、あなた達はそれ以上のものを持っている。というのは、彼の絵は、最高でも、あの偉大な、アントニオ ダ カナーレ(カナレット)は、絵の中に、『動き/生命』を入れることができなかった。それなのにあなた達の『絵』は常に動いてる、生きている。

大クルーズ船が消してしまおうとしている『命』だ。……..」( 新聞“Il fatto quotidiano”から)

確かに、ヴェニスは世界で一番美しい街です。

確かに、この世界遺産を、経済的な問題だけで、危険にさらすことに、大きな問題があるのは、いうまでもないことです。

筆/ヴェネツィアライセンスガイド 田口やよいwww.venicevisit.com

*内部の記事、写真などの著作権はitaliavenezianewsblogに属します。

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映画、「グレイト ビューティー」

(ソレンティーノ監督の映画、2014年、カンヌでゴールデングローブ賞受賞。主人公、Jep Gambardellaは、20歳のとき小説を一つかいただけ、あとはジャーナリストになリ下がって、金持ちと権力者、その周りに集まる軽薄な人々だけが集まる俗界を、泳ぎ回る。現代人はもう自分を笑うしかないという。人々の集まる中で、大騒ぎしながら、いっしょに踊りながら、時々ふと深い孤独の中にいる自分を見つける。背景には、限りなく美しいローマがある。この映画のあと、ソレンティーノは、フェリーニや、スコラなどイタリアの有名な監督に比べられている。)

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アドリアーノ チェレンターノ (Adriano Celentano: Azzurro) 青

古い唄ですが、イタリア人なら誰でも、この曲がある時期の(1960年代後半から1970年初め)イタリアを代表してると感じている有名な唄です。  「青」

テキスト/青

Cerco l’estate tutto l’anno /e all’improvviso eccola qua. /Lei è partita per le spiagge /e sono solo quassù in città, /sento fischiare sopra i tetti /un aeroplano che se ne va.
Azzurro, /il pomeriggio è troppo azzurro /e lungo per me. /Mi accorgo
di non avere più risorse, /senza di te, e allora /io quasi quasi prendo il treno /e vengo, vengo da te, /ma il treno dei desideri /nei miei pensieri all’incontrario va. /Sembra quand’ero all’oratorio, /con tanto sole, tanti anni fa. /Quelle domeniche da solo /in un cortile, a passeggiar… /ora mi annoio più di allora, /neanche un prete per chiacchierar…
Azzurro, /il pomeriggio è troppo azzurro /e lungo per me. /Mi accorgo /di non avere più risorse, /senza di te, /e allora /io quasi quasi prendo il treno /e vengo, vengo da te, /ma il treno dei desideri /nei miei pensieri all’incontrario va. /Cerco un po’ d’Africa in giardino,
tra l’oleandro e il baobab, /come facevo da bambino, /ma qui c’è gente, non si può più,
stanno innaffiando le tue rose, /non c’è il leone, chissà dov’è… /Azzurro, /il pomeriggio è troppo azzurro /e lungo per me. /Mi accorgo /di non avere più risorse, /senza di te,
e allora /io quasi quasi prendo il treno /e vengo, vengo da te, /ma il treno dei desideri
nei miei pensieri all’incontrario va

一年中夏を探してると、ああ、やっと、夏だ。彼女は海に行ってしまって、僕は一人で街に残った。屋根の上に飛行機が飛んでいく音がする。青い!午後はあまりにも青くて、長い。君がいないと、僕の中で、もうエネルギーがなくなってるのに気づく。だから、どちらかというと、僕は電車に乗る。君の所に行くんだ。だけど熱望の電車は僕の中で反対に走る。僕が教会の中の遊び場にいた時みたいだ。太陽があふれてて、もう何年も前のことだ。ひとりぼっちだった日曜日。あの中庭を僕は歩いていた。今、僕はあの頃よりも退屈してる。話しをしてくれる司祭だっていない。青い!午後はあまりにも青くて、長い。君がいないと、僕の中で、もうエネルギーがなくなってるのに気づく。だから、どちらかというと、僕は電車に乗る。君の所に行くんだ。だけど熱望の電車は僕の中で反対に走る。公園の中でアフリカを探してみる。キョウチクトウとバオバオの間で。僕が子供だった時のように。だけどここは人がいっぱいだ。あの頃のようなわけにはいかない。君のバラに水をやってるよ。ライオンはいない。どこにいるんだろう。青い!午後はあまりにも青くて、長い。君がいないと、僕の中で、もうエネルギーがなくなってるのに気づく。だから、どちらかというと、僕は電車に乗る。君の所に行くんだ。だけど熱望の電車は僕の中で反対に走る。*訳 田口やよい

(流行歌ですが、ポエジーに満ちた内容です。 ちょうどこの頃、まだ経済成長期のイタリアでは、一般人の間でも、夏になると、海辺の街にいって、一ヶ月ぐらい、時には、何ヶ月も過ごす習慣が始まります(仕事をしてない家族)。この彼女が海に行ってしまったのは、たぶん家族といったのでしょう。たぶん仕事のために街に残ってる「僕」は、彼女のいる海に電車に乗っていこうかなとも考えます。ふと小さい時のことが浮かんできます。イタリアの子供達は今でも、教会の遊び場で午後を過ごす子供達がいっぱいです。イタリア人が共有する思い出に満ちた唄。)

チェレンターノは歌手ですが、最近、イタリアのいろいろな文化、社会的な問題のディスカッションに参加し、政治的にも重要な声でもあります。

チェレンターノの「青」が、聞けます。下をクリック。